大判例

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名古屋地方裁判所 昭和54年(ワ)835号 判決

原告

佐藤清昭

右訴訟代理人弁護士

杉浦豊

竹内平

平松清志

浅井淳郎

水野幹男

冨田武生

鈴木泉

宮田陸奥男

小島高志

渥美玲子

岩月浩二

長谷川一裕

被告

日通名古屋製鉄作業株式会社

右代表者代表取締役

竹内巌

右訴訟代理人弁護士

永田水甫

杉浦英樹

串田正克

堀部俊治

村瀬昌弘

主文

一  被告は、原告に対し、金三万九五五二円及びこれに対する昭和五四年九月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告から原告に対し昭和五四年二月四日付けでした待機を命ずる意思表示の無効確認請求にかかる訴えを却下する。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は原告の負担とする。

五  この判決の第一項は仮に執行することができる。

事実

別紙のとおり

理由

一当事者等

1  原告は、昭和四二年一二月、大型特殊自動車運転手として被告に入社し、新日鉄名古屋製鐵所の構内輸送の業務に従事してきたもので、昭和四四年には作業課副組長に、昭和四五年一〇月一日には同組長に、昭和五〇年五月には同作業長にそれぞれ昇格した。

2  被告は、新日鉄名古屋製鐵所における製品および原材料の運搬ならびに各種荷役作業を業とする資本金二〇〇〇万円の株式会社で、従業員は一二〇名である。なお、被告は日通の一〇〇パーセント出資会社であり、係長以上の役職者約二〇名はすべて日通からの出向社員で占められており、かつ新日鉄からも三名の出向社員が来ている。

3  被告会社の勤務体制には、五組三交替勤務制と常昼勤務制の二つがあり、前者は、八時から一六時まで勤務する甲番、一六時から二三時まで勤務する乙番、二三時から八時まで勤務する丙番からなり、これらを五組で順次交替して勤務するもの、後者(常昼番)は、常に八時から一六時まで勤務するものである。

以上の事実はいずれも当事者間に争いがないが、〈証拠〉によれば、被告会社では三交替勤務制が原則で、常昼番勤務者には新規採用者、病気回復者で身体的に多少の不安がある者等が従事していたこと、三交替勤務制の中には前記甲・乙・丙番の外に八時から一六時まで勤務の甲番(甲番と違い残業をすることがある。)があることが認められる。

二本件譴責および降格各処分の効力について

1  被告が、昭和五二年一〇月三日、原告に対し、譴責処分(本件譴責処分)および作業長から副組長への降格処分(本件降格処分)をしたことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五二年五月六日午前七時二〇分ころ、名四国道において、自動車運転中に追突されて受傷し、同日から同月二九日まで入院し、その後も同年八月一五日までは被告会社を欠勤した。

原告は、右事故前は三交替勤務制によって勤務していたが、欠勤明けの昭和五二年八月一六日からは本人の希望により常昼番勤務に変わった。その際、原告は被告に対し、頸部挫傷、外傷性頭頸部症候群、前額部打撲擦過傷、背部腰部挫傷により昭和五二年八月一六日から通院加療を要する旨の医師棚橋太郎作成の診断書を提出し、さらに右事故の怪我は全治しておらず、一週間に二回午後五時過ぎの時間帯に通院してマッサージ治療を受ける必要があること、義母が入院していること、妻も足を骨折していること等の理由を挙げて、原告の怪我が全治するまで常昼番勤務にしてほしい旨の「勤務番変更願い」と題する書面を提出した。

(二)  昭和五二年九月二三日、原告は、出勤して朝礼、ミーティングを行った後、午前八時一〇分ころから、配車板の指示により、向井強および三好敏幸と共に四五二号車に乗ってチョッパー屑(炉の中の湯を冷やす鉄の切れ端)を産業振興ヤードから二製鋼工場に運搬する作業を始めた。原告らは二回目の運搬作業が終ったので、休憩するつもりで午前一〇時四〇分ころ厚板詰所に赴いたところ、そこに斉藤健吉作業長がいて、まず向井および三好に対し、もう一回運搬作業を行うよう指示したが、同人らは右指示に素直に従わなかったため気まずい雰囲気が生じた。原告はたまたま煙草を買っていたためやや遅れて同詰所に入ったところ、右斉藤は原告に対しても「もう一回やってから一服やれよ」と命令口調で言った。原告は右運搬作業は二回やったら一服するのが普通であると思っていたので、右指示をはぐらかすような態度に出て、結局午前一一時ころまで同所で休憩した。原告は、午後の作業に備えて産業振興ヤードの様子を見てまわってから作業員詰所に着き、午前一一時四五分ころから昼食を食べ始め、その後午後〇時五〇分ころまでソフトボールに興じた。そして、原告は右詰所のクーラー前でコーラを飲みながら涼んでいたところ、右斉藤から「チョッパーはあとでいいから、昼からは二宮君と一緒にオイル交換をやってくれ」という指示を受けた。原告は昼からもチョッパー運搬の作業をするつもりでいたので右指示に唐突の感を抱き、その場から立ち去る斉藤を「何だ、何だ」と言いながら追いかけ、ロッカー室前にある手洗場付近で、同人に対し、「作業長同士でなんでお前は俺に命令するんだ」「お前は俺に恨みでもあるのか」「無理に仕事を作らなくてもいいではないか」などと苦情を述べたところ、右斉藤は自分には原告に作業指示をする権限があるなどと答えたため、原告は立腹して左手で右斉藤の胸ぐらをつかみ、右手で同人の左肩から首のつけ根にかけての部分を強く押さえつけた。そのとき付近にいた光安憲昭が中に割って入り原告の手を掴んで二人を引き離したところ、右斉藤は薄笑いを浮かべながら一五、六メートル離れた朝礼台の方へ逃げた。ところが、朝礼台の付近では、右斉藤と前田徳幸との間において斉藤が同日の昼食時に大勢の前で前田の早飯を注意したことに関して口論が始まり、これを見た原告は再びその場に駆け寄り、付近にあった「甲」の字を形取った鋼鉄製の表示板(重さ約四キログラム)を振り上げて右斉藤に殴りかかるような気勢を示したが、光安憲昭らによって押し止められた。斉藤は直ちにその場を離れ、午後の作業のため向井と共に器材庫に赴いた。

その後、前記前田は、器材庫まで斉藤を追いかけ、なおも同人と口論に及び、同人の応答に立腹してその胸ぐらを掴んだり、竹ぼうきで撲りかかるなどの暴行を働いたが、周りの者になだめられてその場は一応収まった。

原告も、斉藤の当日の言動になお心中穏やかでなく、器材庫にいる斉藤を見つけると、同所でなおも同人を難詰し、さらに器材庫の外でもそれを継続していると、斉藤が首のあたりを押えながら病院に行くなどと言ったことから激昂し、傍らのスコップを振り上げ同人に撲りかかるような気勢を示した。しかし、その場は居あわせた中満右輝雄、牛田徳雄らに押えられ、他所に連れ去られて事態は一応収拾された。

斉藤はしばらくの間、向井、三好らとドラム缶のペンキ塗りの作業に従事していたが、左肩の痛みがひどくなったため、早退・年休届けを提出して午後二時ころ被告会社を退出し、小嶋病院で受診した。小嶋病院は昭和五二年九月二四日付けで斉藤が左肩打撲傷により同日から同月三〇日まで休務加療を要することを認める旨の診断書を発行した。

(三)  斉藤健吉の原告に対する作業指示について

(1) 被告会社の三交替勤務制において、従業員はAからEまで五つの班のいずれかに属し、原則として班ごとに甲・乙・丙・甲各番の勤務を一定の周期で繰り返す体制にあった。

原告は昭和五二年九月二三日当時B班の作業長であったが、前記のとおり勤務番の変更を願い出たことから、同日は常昼番勤務の一員として就労していたもので、たまたまD班が甲番勤務に当たっていたため、就労に際してはD班の作業長である斉藤健吉の作業指示に従う立場にあった。

(2) 右斉藤が厚板詰所で原告らにチョッパー運搬作業を続けるよう指示したのは、原告らが右作業に使用していた四五二号車にチョッパー運搬用の空バケツ三個を積んでいたところから、仕事が中途半端になっていると判断したためであり、また、午後の作業としてオイル交換を指示したのは、残ったチョッパー運搬の作業は残業で処理し、当面は二宮某がしていたオイル交換の作業を手伝ってもらうのが能率的であると判断したためで、原告と一緒にチョッパー運搬作業に従事していた向井、三好両名には同様の判断からドラム缶のペンキ塗りの作業を指示したものであり、特に他意はなかった。

(四)  被告会社の取締役部長滝川信男(総務、経理、作業、安全教育の五課を統括)は、同日午後四時ころ作業課長から原告らの前記(二)の事件について口頭による報告を受け、さらに詳細な報告を求めていたところ、同月二六日ころまでに目撃者の証言や斉藤健吉、前田徳幸の状況報告書を入手したため、被告は就業規則六四条に基づき、同日、原告および斉藤健吉に対し同年一〇月三日まで自宅謹慎を命じた(原告に対し自宅謹慎が命じられたことは当事者間に争いがない。)うえ、同年九月二八日に開かれた定例の労使協議会において、原告らを懲戒委員会に付することの承諾を求め、その同意を得た。なお、被告会社には企業内労働組合として日通名古屋製鐵作業労働組合(以下「訴外組合」という。)があり、昭和五〇年五月七日、同組合と被告は、組合員の懲戒を決定するについては「会社と組合の双方からなる懲戒委員会の諮問を経て行う」旨の口頭確認をしていたが、この口頭確認では懲戒対象者に弁明の機会を与える等の具体的手続きについては言及されていなかった。

懲戒委員会は昭和五二年九月三〇日と同年一〇月三日に開かれ、協議の結果、原告については出勤停止五日間と副組長への降格、斉藤健吉については譴責と組長への降格、前田徳幸については出勤停止三日間とする答申案をまとめ、それを被告会社代表者に提出した。懲戒委員会において、被告委員は、当初原告の所為が就業規則六二条の(12)の「暴行、脅迫、傷害等の不法行為をしたとき」に該当するとして懲戒解雇を主張したが、組合側委員の弁護があったことにより右答申となったものであり、原告は懲戒委員会の席上において弁明する機会は与えられなかったものの、同年九月二九日午前九時過ぎから午後〇時三〇分ころまで、小柳津晃安全教育課長から前記事件につき事情聴取を受け、その結果が「佐藤斉藤両作業長の不祥事件に関する報告」と題する書面(〈証拠〉)に詳細にまとめられ、それが懲戒委員会に提出されている。また、原告は同年一〇月三日付けで右事件を水に流す旨の「和解誓約書」を斉藤健吉らと取り交わしており(〈証拠〉)、さらに同日付けで被告会社代表者宛に、右事件については職制にあるまじき行動をとったことを深謝する旨、前田徳幸は原告と斉藤のトラブルに止め役に過ぎなかったことを考慮して懲戒事案の取下げを願う旨および自ら職制を辞退したい旨の上申(〈証拠〉)をしていた。

被告代表者は前記答申を受けたが、同時に訴外組合から、暴力は絶対に否定されるべきであり、組合執行部として本件が起きたことを深く恥じる旨の口頭確認書の提出を受けたこと等もあって、被告会社として、同日、前記(二)の事件に関し、原告については就業規則第五条(社員は職場秩序を保持し、相協力して社業の発展に努めなければならない。社員は所属上司の指示、命令に従い自己の職責遂行のために最善を尽くさなければならない。)、第八条(社員としての身分を自覚し、次の各号を守り会社に対する誠実義務に反するような行為をしないものとする。)(1)(互いに人格を尊重し、礼節を重んじ、和をもって社員相互の向上に努めること。)、第九条(社員は会社内の秩序保持のため次の各号を守るものとする。)(3)(喧嘩、賭博、流言、落書、その他会社秩序を乱し、人心に動揺を招くような言動を行わないこと。)(4)(会社内において暴行、脅迫、傷害、監禁、その他不法行為をおこなわないこと。)並びに作業長職務基準に違背するもので、就業規則第六一条(社員が次の各号の一に該当する行為があったときは、減給又は出勤停止に処する。但し特に情状酌量の余地があるか、もしくは改悛の情が明らかに認められる時は譴責に止めることがある。)(3)(違法な行為により会社秩序を乱し又はそのおそれのあったとき)に該当するが、情状酌量して本件譴責処分並びに就業規則第五九条但書により本件降格処分を併科したもので、他の二人については答申案どおりの処分をした。

なお、懲戒委員会は、訴外組合からは柳瀬英晴副委員長(当時原告が訴外組合の委員長であったが、原告が前記のとおり昭和五二年五月六日に交通事故で負傷したため、それ以降、右柳瀬が委員長代行をしていた。)らの執行部役員が、被告側からは右と同数の総務課長らが委員として出席し、他に前記滝川取締役部長がその委員長を務めた。

(五)  被告会社では、昭和五二年九月二三日以前にも、職場あるいは職場外で、従業員同士の暴力事件が少なからずあった(例えば、前田徳幸、大塚重利の斉藤健吉に対する暴行、光安憲昭の矢坂潔、小木曽勉、桜井伸広に対する暴行など)が、それらは作業長ないし総括作業長の段階で処理され、懲戒委員会にかけられることはなかった。しかし、同年七月二〇日に奥田誠次が勤務中に他社従業員に暴行を振るった事件では、同人は同月二一日から二五日まで自宅謹慎を命じられ(その間の賃金は不支給)、同月二六日の懲戒委員会の協議を経て出勤停止七日間の懲戒処分を受けた。右懲戒委員会は、滝川取締役部長が委員長となり、被告側からは宮坂部長代理、熊原総務課長、藤山作業課長が、訴外組合側からは柳瀬副委員長、野口書記長、光安労働部長が委員として参加したが、そこでは、訴外組合側は暴力事件に対する従前の取扱いを反省し、今後は同種事件には厳しく対処していきたい旨の意見を述べ、労使双方の委員で、暴力の追放を期することを確認した。

(六)  被告会社の就業規則には、懲戒の種類として、譴責、減給、出勤停止、諭旨退職、懲戒解雇の五種類が定められ、役付者については降格を併科することがある旨を定めている。

以上の事実が認められる。なお、原告は、斉藤健吉との前記(二)のやりとりの際、原告も〈証拠〉の診断書記載の胸部、右手関節挫傷の傷害を受けた旨供述(第一回)するが、前記(二)認定の事実及び〈証拠〉によれば、右傷害は斉藤の所為が原因で生じたというよりは、光安憲昭が手洗場付近で原告を斉藤から引き離した際、あるいはその後、原告が持っていた甲表示板を取り上げた際に生じたとみるのが自然であり、他に原告の右供述を裏付けるに足りる証拠はない。

3  右2に認定した事実によれば、原告は午後の作業開始直前(なお、〈証拠〉によれば、休憩時間は正午から午後一時までであることが認められる。)の午後〇時五〇分ころに斉藤健吉から受けた作業指示に不満感、不快感を抱き、右時刻ころから午後の就業時間にかけての約二〇分間に、職場内である手洗場付近、朝礼台付近、器材庫付近の三か所において、同人に対し前示のような暴行を執拗に繰り返し、同人に対し休務加療一週間を要する左肩打撲傷の傷害を負わせたものであるから、被告において、右行為は服務規律を定めた就業規則五条、八条(1)、九条(3)(4)に違反し、同規則六一条(3)に該当するものとして、本来減給又は出勤停止に処すべきところ、情状酌量して譴責処分に留め、同規則五九条但書により本件降格処分を併科したことは、就業規則の適用として誤りはないものといわなければならない。

4  原告は、本件懲戒処分とりわけ本件降格処分は、原告の組合活動を憎悪する被告が、原告の信用を失墜させること及びこれを組合員に対するみせしめにすることを目的としてしたもので、労組法七条一号、三号所定の不当労働行為であるから無効であると主張するので、検討する。

(一)  被告会社が、新日鉄名古屋製鐵所構内における運搬荷役作業部門を担当する下請会社であることは、当事者間に争いがない。

(二)  〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(1) 被告会社には従前から従業員によって組織された職場懇談会があり、労働条件の改善等に取り組んできたが、思うような成果を上げられなかったところから、昭和四八年三月ころ労働組合結成の動きが起こり、結成準備委員会が作られた。原告もその委員の一人として組織化に奔走し、同年四月二〇日に訴外組合が結成され、原告は初代副委員長となり、更に同年一〇月の大会において委員長に選出され、以来昭和五二年九月まで(但し、昭和五〇年一二月から昭和五一年九月までの間を除く。)通算四期委員長を歴任した。

(2) 訴外組合の委員長時代における原告および訴外組合の主な活動は、次のとおりである。

イ 被告会社では、従前、午前八時から午後五時まで勤務の甲番と午後八時から午前五時まで勤務の乙番を順次交替で勤務する二交替勤務制(拘束九時間、実働八時間)を採用し、右交替の間の時間帯を超過勤務によってまかなっていたところ、訴外組合は就労時間の短縮を要求し、労使協議の結果、労働時間を短縮して十分な休息を与えることにより作業力の向上と作業の安全を推進することができるとして、現行の三交替勤務制が採用され昭和五〇年五月一六日から実施された。

ロ 昭和五一年度年末一時金闘争において、訴外組合は四〇万円を要求して被告会社と一〇回団体交渉を持ったが、同年一二月一日交渉が決裂したため、代議員会の決議を経て、翌二日午前八時から正午まで組合員全員による時限ストライキが実行され、その結果、被告会社の回答額である二五万五〇〇〇円に三万円の解決金を上積みさせることに成功した。なお、原告を含む組合三役は、ストが必至となった同月一日午後一一時三〇分ころ、被告会社の下請一〇社の代表者らから、親会社(新日鉄)からにらまれないようストを中止して欲しい旨の要請を受けたが、それに影響されることなくストを実施したものであり、新日鉄の協力会社の組合がストを実施したのはこれが初めてであった。また、被告会社側は、この時の解決金の一部は裏金扱いにして欲しいと要請していた。

ハ 原告は、新日鉄の主要下請企業の企業内労働組合一二組合及びその傘下組合の委員長で構成される組合長会議において、昭和五〇年ころ、他の組合の委員長らに対し、年末一時金の裏金の額についての情報交換をしようと話し掛けたところ、他の組合の委員長らは話に乗ろうとしないので不審に思ったが、その後に開かれた被告会社との団体交渉において、被告会社の服部正行総務課長から、組合長会議において裏金を話題にしたことを非難されるということがあった。

(三)  右認定事実によれば、たしかに、原告は訴外組合において指導的立場にあり、かつその組合運動についての考え方は労使協調的なものではないことが認められ、被告も原告についてそのような認識を有していたことが推認される。

しかしながら、本件懲戒処分の理由とされた原告の行動が先に認定したようなものであること、前記認定の本件懲戒処分に至るまでの手続き、特に懲戒委員会には訴外組合からの委員も参加していること、決定された懲戒処分の内容等に照らすと、本件懲戒処分が、原告の主張するような不当労働行為意思に基づいてなされたとみることは困難であり、他にそのような見方を肯定するに足りる資料はない。

(四)  したがって、本件懲戒処分につき、不当労働行為としての無効をいう原告の主張は理由がない。

5  原告は、被告会社ではいまだかつて同僚間の喧嘩を理由に本件のような不利益を伴う処分がされたことはない、原告と斉藤の間で示談が成立している、などの点を挙げて本件懲戒処分は重きに過ぎ懲戒権の濫用である旨主張する。

しかしながら、先に認定したとおり、原告は斉藤のした作業指示に逆らって粗暴な行動に出たものであるところ、斉藤の作業指示には多少批判の余地はあるにしても、特に不合理又は恣意的なものであったとはいえないから、右紛争を同僚間の単純な喧嘩とみるのは相当でなく、したがって、被告が、右両名の間に示談が成立しているとしても使用者として企業秩序維持の観点からこれを放置し得ないと考え、本件懲戒処分を行ったことにも相当の理由があるといわざるを得ず、また、右紛争の原告以外の関係者である斉藤健吉、前田徳幸に対する処分との対比においても必ずしも本件処分が均衡を失しているとはいえないこと等の事情に照らすと、本件処分をもって異例な処分あるいは過重な処分ということはできない。

原告はまた、被告は、確立した労使慣行に反して、懲戒処分を行うに当たり本人に弁明の機会を与えず、組合の意向も確かめなかったと主張するが、先に認定したとおり、本件懲戒処分に先立って組合側委員も参加した懲戒委員会が開かれており、原告は懲戒委員会の席上においてではないが被告から事情聴取を受けているのであるから、弁明の機会は十分に与えられていたと認められる。

その他、本件懲戒処分は、降格処分を含むとはいえ、情状酌量されて懲戒処分としては最も軽い譴責に留まっていることに照らしても、これを懲戒権の濫用とみることはできず、他にこれを懲戒権の濫用とみるべき事情を認めるに足りる資料はない。

6  そうすると、結局本件懲戒処分の無効をいう原告の主張はすべて理由がないから、本訴請求中、右処分の付着しない労働契約上の地位の存在確認を求める請求および右存在を前提として差額賃金の支払いを求める請求は理由がない。

三自宅謹慎期間中の未払い賃金について

被告が本件懲戒処分に先立ち、原告に対し昭和五二年九月二六日から同年一〇月三日まで自宅謹慎を命じ、その間の賃金三万九五五二円を控除したことは当事者間に争いがない。

〈証拠〉によれば、被告が右賃金控除をした根拠は、前項2(五)記載の奥田誠次にかかる暴行事件の際に同様の措置が執られ、それ以降、懲戒問題が生じて自宅謹慎を命ぜられ、後に懲戒処分が決定した場合その期間は欠勤扱いとする旨の慣行が成立しており、訴外組合もそのことを了承していたということにあると認められる。しかしながら、このような場合の自宅謹慎は、それ自体として懲戒的性質を有するものではなく、当面の職場秩序維持の観点から執られる一種の職務命令とみるべきものであるから、使用者は当然にその間の賃金支払い義務を免れるものではない。そして、使用者が右支払義務を免れるためには、当該労働者を就労させないことにつき、不正行為の再発、証拠湮滅のおそれなどの緊急かつ合理的な理由が存するか又はこれを実質的な出勤停止処分に転化させる懲戒規定上の根拠が存在することを要すると解すべきであり、単なる労使慣行あるいは組合との間の口頭了解の存在では足りないと解すべきである。

本件においては、右緊急かつ合理的な理由又は懲戒規定上の根拠の存在を認めるに足りる証拠は存在しないから、被告が行った右賃金控除は、単なる賃金不払いとみざるを得ず、したがって、本訴請求中、右控除分につき賃金支払いを求める部分は理由がある。

四昭和五四年二月四日付け待機を命ずる意思表示の無効確認請求について

被告が昭和五四年二月四日原告に対し、同日以降被告会社詰所内において待機するよう命ずる業務命令を下したことは当事者間に争いがない。

弁論の全趣旨によれば、右待機命令は、労働契約から生ずる使用者の労務指揮権の行使としてなされたものであることが明らかであるから、右待機命令はそれ自体として原・被告間の労働契約関係を形成、変更する効力を有するものでないといわなければならない。そして、このような性質のものとしての待機命令については、特段の事情のないかぎり、その無効確認を求めることに法律上の利益はないというべきところ、本件においても、原告は、右待機命令自体を後記の残業拒否命令の点と併せて被告による不当労働行為又は債務不履行と主張し、それらの差止めを求めているのであるから、それとは別に右待機命令がもたらす法律上の効果の有無について確認を求める利益があるとは認め難い。したがって、右確認請求に係る本件訴えは訴えの利益を欠くものとして不適法であるといわなければならない。

五不利益取扱いの差止請求について

1  原告が昭和五二年八月一六日以降常昼勤務に就いていることは前記二項2(一)記載のとおりである。

常昼勤務に就いてからの原告の時間外勤務が、昭和五二年九月には二六時間、一〇月には一六時間、一一月には三三時間あったこと、同年一二月一日以降被告は原告に対し時間外勤務を命じていないことは当事者間に争いがない。

2  右事実および〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一) 原告は、昭和五二年一〇月一一日すぎに至り、被告会社に対し、筋肉性腰痛症により「約(向後)二週間の軽作業が必要と思います」との医師棚橋太郎の同日付け診断書を提出した。原告はそれまでに、昭和五二年五月六日の交通事故に関する診断書(前記二2(一)の診断書)一通および同年九月二三日の斉藤健吉とのトラブルに関連する診断書二通を提出していたが、それらの中に作業内容にまで言及したものはなかった。そこで、被告会社では、原告に対し専門医の診察を受けることを勧め、その結果、原告から中部労災病院医師吉田一郎作成の同年一〇月一四日付け診断書(それには「昭和五二年一〇月一四日より当分の間の通院加療を要す。軽作業従事が適当と認める」旨の記載がある。)が提出された。そこで、被告会社の作業課長は担当医師に面会し、留意事項を尋ねたところ、超過勤務は避けた方がよいとの助言を得たため、前記のとおり原告に対し残業を命じないこととした(〈証拠〉には、被告会社が医師に病状照会をした日が同年一二月二四日以降であるかの如き記載があるが、右記載から直ちに同月一日以前に被告会社が病状照会をしたことはないと断定することはできない。)。

原告は、その後も、昭和五四年一月三一日までの間腰痛症により通院加療を要する、その間は軽作業を可とする旨の診断書を七通(なお、最後の診断書の病名は「左手関節捻挫」である。)提出した。また、原告は、昭和五三年一月三〇日付けで、被告に対し、健康上の理由から常昼番勤務の期間延長を願い出ているほか、昭和五二年九月、昭和五三年五月、同年一一月、昭和五四年五月、同年一〇月に行われた健康診断において、その健康診断個人票に、自覚症状として、いずれも「腰が痛い」「身体がだるい」「めまいがする」「耳鳴りがする」の欄に○印をつけている。

(二)  原告は、昭和五四年一月一九日作業中に左手首の関節を捻挫したことにより同月二〇日から同月末日まで休業し、通院加療した。同年二月三日の中部労災病院の診断では、原告の右怪我はもはや治療を要しない程度に治癒しているということであったので、被告は原告に対し翌四日から出勤するよう指示したところ、原告は四日に出勤はしたものの、出勤を指示されたことに反発し、作業に就けば再発するかもしれないなどと強い調子の発言をしたため、被告は当日原告を作業に就かせることを見合わせた。そして、同年二月六日、被告は組合とも協議したうえ、本人が右のように強く発言している以上、自覚症状を尊重すべきであると考え、原告に対し、当分の間別に指示があるまで詰所で待機するよう業務命令を発し、その際原告にも右理由を説明した。

(三)  その後も、原告の体調に好転のきざしがなかったので、被告は職場の安全衛生及び原告の健康状態を考慮して、原告を最も軽い作業に就かせることとし、同年四月一五日をもって先の待機命令を解き、翌一六日から職種を変更して構内員として勤務するよう辞令を発した。

(四)  被告会社では、前記のとおり、昭和五〇年五月一六日、従前の二交替勤務制が三交替勤務制に変更されたが、右変更は従業員の時間外手当の減少をもたらすものであったため、会社としてそれに対応するため、通常の賃金改定月である一〇月より前の昭和五〇年四月に一万三五〇〇円の賃金アップをし、一年の間、月額五〇〇〇円の三交替推進手当てを新設したほか、通勤費を月額三七〇〇円増額、三交替手当を月額七五〇〇円にする等の処置をとった。このように、二交替勤務制から三交替勤務制に移行したことによる時間外手当の減少に対しては、被告会社によって各種の対応が図られていることからすると、原告が主張する一定量の時間外労働の保障は、一つの努力目標として約束されたものであって、権利として保障されたものではないとみるのが相当である。

3  使用者は、労働者を雇用して自らの指揮命令下に置き、その労働力により企業活動を行っているのであるから、その過程において労働者の生命、身体が損なわれることのないよう安全を確保するための措置を講ずべき安全配慮義務を負っている。

右に認定したところによれば、被告は、原告が交通事故による受傷から完全に回復せず、腰痛症を発症し加療を要する状態にあることを考慮して、担当医にも照会した上、腰痛症の悪化を防ぐとともに早期の回復を図るため、昭和五二年一二月一日以降残業を命じない措置をとったものとみることができる。

右認定事実によれば、原告は昭和五四年一月一九日従前の腰痛に加えて、作業中左手首を捻挫し、医師の診断はともかく、自覚症状において予後が良好でなかったので、被告は原告に対し、経過観察のために一時詰所待機を命じたが、必ずしも状態が改善されないことから、原告の体調は当分の間従前の作業に復帰できるまでには回復しないと考え、改めて職種を軽作業を内容とするものに変更する辞令を発したものとみることができる。

原告は、右措置、待機命令等は、原告の収入を減少させ、あるいは仕事に対する張り合いを失わせることによって原告が自分から退社するよう仕向けたものであり、原告の組合活動を嫌って被告会社からの放逐を図ったものであって、不当労働行為あるいは債務不履行に当たる旨主張するが、右措置、待機命令等は、右にみたとおり、合理的な理由に基づいてなされていると認められるのであって、原告に前記組合活動歴があることを考慮しても、これを不当労働行為あるいは債務不履行とみることはできず、他にこれを不当労働行為あるいは債務不履行とみるに足りる事情は認められない。

4  そうすると、その余の点について判断するまでもなく、本訴請求中、不利益取扱いの差止めを求める部分は理由がない。

六従業員たる地位の確認請求について

1  被告会社の就業規則六三条に「社命又は許可なく他に就職したとき」は懲戒解雇に処する旨の定めがあること、被告は昭和六〇年三月二九日原告に対し、原告が右規定に違反したことを理由として解雇する旨の意思表示をしたことは当事者間に争いがない。

2  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  原告は、昭和五四年ころから毎日交通株式会社のタクシー運転手として勤務し、当初の一年間は他人の乗務員証で乗務していたが、昭和五五年春ころからは自らの乗務員証を掲げて乗務するようになった。その勤務は、被告会社の公休日の前後を利用して行われ、一か月に四、五回位の割合で乗務していた。その就労形態は、被告会社を四時に退社すると、その足でタクシー会社に赴き、午後五時から翌朝まで乗務し、午前八時半から同一一時までの間に当日の売上を納入し、更に、公休が続くときは、次の日の朝方まで乗務し、納車した後は新日鉄正門前に自家用自動車を停め、そこで仮眠してから当日の勤務に就くという体制をとっていた。

(二)  右事実が被告に判明したのは、原告が昭和六〇年二月九日(土曜日)午前九時ころ、本件訴訟事件の被告代理人弁護士である串田正克を乗車させたためである(なお、原告は当日被告との関係では年休をとっていた。)。訴外組合は被告からの申入れに基づき、同年三月一八日朝、執行委員会において、原告の兼業問題を労使協議事項として取り扱うことを決め、労使双方は、同日開かれた労使協議会において、原告について懲戒委員会を開くことを正式に決め、同月二二日と同月二八日に開かれた懲戒委員会において協議がなされ、結局、労使委員とも、「懲戒解雇」相当の結論に達し、その答申に基づいて、本件解雇がなされたものである。右答申までの間に被告会社の総務担当部長熊原俊司は同年二月一三日に毎日交通株式会社営業部で原告の勤務状態について、同年三月一五日には串田正克から原告運転のタクシーに乗車した状況について、それぞれ事情聴取をし、他方訴外組合も、同月一九日に右タクシー会社から右と同様の事情聴取をし、また、同月二七日には組合事務室で原告本人から事情聴取をしたが、その際、原告は、組合を罵倒し、捨て台詞を残すような態度であり、約一〇分程で右事務室を退出してしまった。また、訴外組合は、同月二八日午前一〇時ころに中央委員会(従前の代議員会)を開いて、原告の処遇について協議をした。

(三)  被告と訴外組合は、昭和五六年一〇月三一日、懲戒委員会の議事方法についての確認をしているが、その中に「委員会は、(中略)必要により当事者及び関係者を出席させて陳述させることができる」旨の定めがある。

3  右認定事実に基づいて本件解雇の効力について判断する。

(一)  原告は、前記就業規則の定めは公序良俗に反し無効である旨主張する。

たしかに、労働者は、勤務時間外においては、本来使用者の支配を離れ自由なはずであるが、勤務時間外の事柄であっても、それが勤務時間中の労務の提供に影響を及ぼすものである限りにおいて、一定限度の規制を受けることはやむをえないと考えられる。これをいわゆる兼業の禁止についてみるに、労働者が就業時間外において適度な休養をとることは誠実な労務の提供のための基礎的条件であり、また、兼業の内容によっては使用者の経営秩序を害することもありうるから、使用者として労働者の兼業につき関心を持つことは正当視されるべきであり、労働者の兼業を使用者の許可ないし承認にかからせることも一般的には許されると解される。したがって、前記就業規則の定めを当然に無効であるとする原告の主張は、採用し難い。

(二)  そこで、本件について具体的にみるに、原告の兼業が毎日交通株式会社との継続的な雇用契約によるものか、単なるアルバイト的なものであるのかは必ずしも判然としないが、その勤務時間は、場合によっては被告会社の就業時間と重複するおそれもあり、時に深夜にも及ぶもので、たとえアルバイトであったとしても、余暇利用のそれとは異なり、被告への誠実な労務の提供に支障を来す蓋然性は極めて高いといわなければならない。したがって、仮に前記就業規則の定めがいわゆるアルバイトを含めて一切の兼業を禁止するものとは解し得ないとしても、原告の本件兼業が前記就業規則の禁止する兼業に該当することは明らかであり、本件証拠中に現れた被告会社の他の従業員にみられる兼業とは性質を異にするといわなければならない。

(三)  原告はまた、被告が原告から仕事を奪い、かつ賃金を低劣な水準に押さえ込んできたのであるから、原告の兼業は緊急避難ないし正当防衛行為であると主張する。しかしながら、原告の右主張は、被告が原告に対して執った各処分ないし措置が不当労働行為であることを前提とするものであるところ、そのこと自体否定されるべきものであることは前記のとおりであり、原告が被告会社において受けた処遇の原因は主として原告自身にあるというべきであるから、原告の右主張は採用しがたい。

(四)  原告は、本件解雇もまた不当労働行為であると主張するが、先に各処分ないし措置につき不当労働行為性が否定されたのと同様、本件解雇もこれを不当労働行為とみるに足りる資料はない。

(五)  原告は、本件懲戒解雇の手続きについてもその違法をいうが、前記2に認定したとおりの手続きを経て懲戒処分がなされており、処分の無効を来すような違法は存在しない。

4 そうすると、その余の点について判断するまでもなく、原告の労働契約上の権利を有する地位の確認請求および右地位の存在を前提とする賃金請求は理由がない。

七以上のとおりであるから、原告の本訴請求のうち、自宅謹慎期間中の未払い賃金の支払いを求める部分は理由があるからこれを認容し、昭和五四年二月四日付け待機命令の無効確認を求める部分は訴えが不適法であるからこれを却下し、その余の請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条但書を、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官清水信之 裁判官遠山和光 裁判官後藤眞知子は転補につき署名捺印することができない。裁判長裁判官清水信之)

別表(一)(二)(三)〈省略〉

別紙事実

第一 当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一 原告が被告に対し、労働契約上の権利(昭和五二年一〇月三日付けの譴責処分及び作業長から副組長への降格処分の付着しないものとして)を有する地位にあることを確認する。

二 被告が原告に対し昭和五四年二月四日付けでした待機を命ずる旨の意思表示は無効であることを確認する。

三 被告は原告に対し、仕事を取り上げるなどして、他の従業員と差別して不利益に取り扱ってはならない。

四 被告は、原告に対し、

(一) 金一三万六四〇〇円及びこれに対する昭和五四年九月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 昭和五四年九月から本判決確定に至るまで毎月二五日限り金六二〇〇円宛を支払え。

(三) 金三万九五五二円及びこれに対する昭和五四年九月一三日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(四) 金七八万二三八九円及びこれに対する昭和五四年九月二一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(五) 昭和五四年七月から本判決確定に至るまで毎月二五日限り金四万一一七八円宛を支払え。

(六) 一四三万九五九一円及び昭和六〇年九月一日以降毎月二五日限り月額二〇万二九七五円を支払え。

五 訴訟費用は被告の負担とする。

六 四項及び五項につき仮執行宣言

(請求の趣旨に対する答弁)

一 原告の請求をいずれも棄却する。

二 訴訟費用は原告の負担とする。

第二 当事者の主張

――昭和五四年(ワ)第八三五号、同年(ワ)第一三八〇号事件について

(請求の原因)

(請求の原因に対する答弁及び被告の主張)

一 当事者

(一) 原告は、昭和四二年一二月、大型特殊自動車運転手として被告(以下被告会社ともいう)に入社し、訴外新日本製鐵株式会社(以下新日鉄という)名古屋製鐵所の構内輸送の業務に従事してきたものであり、 昭和四四年に副組長へ、同四五年一〇月一日に組長へ、同五〇年五月に作業長へそれぞれ昇格した。

(一) 認める。

(二) 被告は、新日鉄名古屋製鐵所における製品および原材料の運搬ならびに各種荷役作業を業とする資本金二〇〇〇万円の株式会社であり、従業員一二〇名を擁している。

なお、被告は日本通運株式会社(以下日通という)の一〇〇パーセント出資会社であり、係長以上の役職者約二〇名はすべて日通からの出向社員が占めておりかつ、新日鉄からも三名の出向社員が来ている。

(二) 認める。

二 原告に対する懲戒処分

(一) 被告は、昭和五二年一〇月三日原告に対し、譴責処分(以下本件譴責処分という)および作業長から副組長への降格処分(以下本件降格処分という)をなし、同日以降原告が作業長の地位にあることを認めず、原告を副組長(但し、昭和五四年四月一六日以降は副組長扱)として処遇している。

(一) 認める。

(二) しかしながら、本件譴責及び降格処分(以下本件懲戒処分という)は、違法かつ無効のものであるから、原告は本件懲戒処分後も引続き作業長たる地位にあり、 作業長として後記職責手当および作業指導手当の支給を受ける権利を有している。

(二) 争う。

(三) 被告は、特別手当として、役付者に対し別表(一)記載のとおりの職責手当を、事務職および作業職従事者に対しその職務の内容に応じて技能手当 (但し、作業長以上の従業員については技能手当にかえて作業指導手当)を支給している。

なお、被告会社においては、賃金は、前月一六日から当月一五日までの分を当月二五日に支給されている。

(三) 認める。

(四) ところで、原告は、本件降格処分前は作業長として一ケ月一万〇五〇〇円の職責手当および一ケ月二万一二〇〇円の作業指導手当の支給を受けていたが、右処分後は、 昭和五二年一一月以降副組長として(但し、昭和五四年四月一六日以降は副組長扱として)一ケ月八五〇〇円の職責手当および一ケ月一万七〇〇〇円の技能手当しか支給されなくなったため、一ケ月当り六二〇〇円の減給となった。

(四) 原告が本件降格処分前、原告主張のとおり職責手当および 作業指導手当の支給を受けていたこと、原告が昭和五二年一〇月一六日以降副組長として(但し、昭和五四年四月一六日以降は副組長扱として)解雇に至るまで一ケ月八五〇〇円の職責手当の支給を受け、昭和五二年一〇月一六日から同五四年三月三一日まで一ケ月一万七〇〇〇円の技能手当の支給を受けたことは認めるが、その余の事実は否認する。

原告に支給された昭和五四年四月一日以降の技能手当の月額は、次のとおりである。

昭和五四年四月一日から同月一五日まで

一万八〇〇〇円

同年四月一六日から昭和五五年三月三一日まで

一万四七〇〇円

昭和五五年四月一日から同五六年三月三一日まで

一万五七〇〇円

昭和五六年四月一日以降

一万七七〇〇円

(五) よって、原告は被告に対し、原告が被告に対し本件懲戒処分の付着しない労働契約上の権利を有する地位にあることの確認を求めるとともに、 本件降格処分に伴う昭和五二年一一月分から同五四年八月分まで二二ケ月分の職責手当および技能手当の減給分合計一三万六四〇〇円およびこれに対する支払期日経過後である 昭和五四年九月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払ならびに昭和五四年九月以降本判決確定に至るまで毎月二五日限り六二〇〇円宛の支払を求める。

三 原告に対する自宅謹慎処分に伴う賃金控除

(一) 被告は、本件懲戒処分に先立ち、原告に対し昭和五二年九月二六日から同年一〇月三日までの間六労働日の自宅謹慎を命じてその間の原告の就労を拒否し、 同年一〇月二五日支払分の賃金から基準内賃金六日分合計三万九五五二円を控除した。

(一) 認める。

(二) 原告の前記六労働日の不就労は、就労拒否という被告の責に帰すべき事由によるものである。

(二) 争う。

(三) よって、原告は被告に対し、民法五三六条二項により、右未払賃金三万九五五二円およびこれに対する支払期日経過後である 昭和五四年九月一三日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

四 原告に対する残業拒否

(一) 被告会社における勤務の態様および時間外労働の実態

(一)

1 被告会社では、三交替勤務制と常昼勤務制とがある。三交替勤務制は、八時より一六時まで勤務の甲番、一六時より二三時まで勤務の乙番、二三時から八時まで勤務の丙番を順次交替で勤務する制度であり、常昼勤務制は、八時より一六時まで勤務するものである。

1 認める。但し、三交替勤務制は、正しくは五組三交替制である。

2 ところで、被告会社の給料は極めて低く、従業員は毎月一定時間の時間外労働に従事し、ある程度の時間外手当を貰わなければ生活できない実情にある。 したがって、被告の従業員は一定時間の時間外労働を当然のこととして予定ないし期待しており、その手当を生活費の一部として予定に組入れている。

2 否認する。

被告会社の基準内賃金は他と比較して低いものではなく、更に作業の性質上五組三交替制の変則勤務を基本としているので、 他と比較すればもともと高い給与を支払っている。常昼勤務の場合は三交替勤務より給与額は低いが、常昼勤務になっても生活ができなくなることはない。

時間外労働は、本来会社がその日に完了すべき必要を認めた作業に限り例外的に勤務可能者より選んで時間外勤務をさせるものであり、労働者が当然要求すべき権利というべきものでなくまた、 労働者は会社の時間外勤務の業務命令に対してはこれを拒否することも出来るものである。

3 また、被告会社では、労使慣行として一ケ月三〇時間の時間外労働が従業員に保証されている。すなわち、被告は、昭和五〇年五月一六日、 従前の二交替勤務制を三交替勤務制に変更したが、右変更は、従業員の賃金低下をもたらすものであったため、日通名古屋製鐵作業労働組合(以下単に組合ともいう)は被告に対し、賃金低下分を補填する意味で左記のとおり一ケ月三〇時間を目処とする時間外労働を保証することを約束させた。

甲勤務(月間六日)二時間×六回

一二時間

休日出勤  七時間

補勤・連勤  七時間

班会議および安全班会議 四時間

したがって、三交替勤務制に移行した後、被告の従業員は、一ケ月三〇時間の時間外労働に伴う手当を生活費の一部として予定し生活設計を立てており、 被告がある従業員に対し何らの代償措置もとらずに時間外労働を拒否することは、直ちにその従業員の生活破壊につながることになる。

以上のように、被告の従業員にとって一ケ月三〇時間の時間外労働は権利として意識されている。

3 被告が昭和五〇年五月一六日に従前の二交替勤務制を三交替勤務制に変更したことおよび一ケ月三〇時間の時間外労働の内訳は認めるが、その余の事実は否認する。

二交替勤務制を三交替勤務制に変更した理由は、次のとおりである。

従前の二交替勤務制は、午前八時より午後五時まで勤務の甲番と午後八時より午前五時まで勤務の乙番を順次交替で勤務する制度であるが、拘束九時間実働八時間であり、 この間の時間が超過勤務になっていたところ、組合は就労時間の短縮を求めていたので、労使双方協議の結果、労働時間を短縮し充分の休息を与えることにより 作業力の向上と安全作業の推進をはかることを目的として現行の三交替勤務制に変更したのである。

しかして、右変更は作業員の時間外手当の減収をもたらすものであったため、これに対し被告は次の措置をとった。

(1) 従来より賃金改定は毎年一〇月に行なわれていたところ、昭和四九年一〇月に賃金改定(二万五五〇〇円アップ)を行なったばかりであったが、昭和五〇年四月更に賃金の改定(一万三五〇〇円アップ)をした。

(2) その他

(イ) 三交替推進手当を新設五〇〇〇円

(ロ) 通勤費の増額 三七〇〇円

(ハ) 三交替手当 七五〇〇円

(従前乙番勤務者に対して支払っていたもので平均四八〇〇円位のものを増額し三交替勤務者全員に対し固定化したもの)

また超過勤務については三交替勤務によってすべての取扱数量が消化できるものではないので、 甲番勤務者については残業となるにしてもこれに応じるとの了解が組合との間でなされたものである。

(二) 原告に対する残業拒否

(二)

1 原告は、従前三交替勤務であったが昭和五二年八月一六日より常昼勤務になり、以来毎月左記のとおり時間外労働に従事してきた。

昭和五二年  九月 二六時間

同     年一〇月 一六時間

同     年一一月 三三時間

1 認める。

2 しかるところ、被告は、昭和五二年一二月一日原告に対し、同日以降時間外労働をしてはならない旨の業務命令(以下本件残業拒否命令という)を下し、 そのため原告は以後時間外労働に就労する意思を有しているにも拘わらずこれに従事し得なくなった。

2 原告が昭和五二年一二月一日以降時間外労働に従事していないことは認めるが、その余の事実は否認する。

被告は、後に抗弁三において詳述するように、原告の健康を考えて右同日以降原告に対し時間外労働を命じていないのである。

(三) 本件残業拒否命令の違法性

(三)

1 不当労働行為

(1) 被告が新日鉄の下請会社として有する特殊な地位、性格について

(イ) 新日鉄は、コストの切詰め、不況時における対応の柔軟化等のため、大幅な下請化を図ってきており、昭和五三年一二月末現在、名古屋製鐵所における下請化率は五〇パーセントを越えている。

(イ) 不知。

(ロ) 被告は、株式会社上組などとともに新日鉄名古屋製鐵所の運搬荷役作業部門を担当する下請会社であるが、製鉄所における運搬部門は、 実質的には生産の大きな一翼を担っているため、新日鉄は、被告の動向ひいてはその組合等の動向につき重大な関心を払っている。

(ロ) 被告が新日鉄名古屋製鐵所構内における運搬荷役作業を担当する下請会社であることは認めるが、その余の事実は不知。

(ハ) 新日鉄は、下請企業の協力体制を維持するため次のような下請企業の支配方法をとっている。

(ハ) 冒頭の事実は否認する。

(a) 複数社による競争

新日鉄における下請企業の作業区分は、港湾荷役、運搬荷役、原料処理、工場内処理、製品梱包、滓類処理等に分けられているが、 新日鉄は、これら作業の性質によって区分される仕事を下請に出すに際し、決して一社のみに請負わせることをしない。

被告が請負っている運搬荷役の仕事を例にとれば、右仕事は被告のほかに株式会社上組、株式会社東海興業共同陸運株式会社、株式会社服部組、丸中運輸株式会社、広畑海運株式会社等が競合して請負っている。 このように新日鉄は、一分野の仕事を複数社に請負わせることにより下請企業同士を新日鉄の意向にそうように競争させ、もって新日鉄の方針を貫徹している。

したがって、ある下請企業の労働組合がストライキをやればその企業の仕事は直ちに他の下請企業に回されてしまうのである。そのため、各下請企業は、 自社の新日鉄におけるシェアーを維持、拡大するため必死に労働組合活動を抑え込もうとするようになっている。

また、所・協(新日鉄と協力会社すなわち下請企業のこと)一体の名のもとに、新日鉄が「無災害運動」に取組むや、下請企業も右運動を展開し、労災事故が発生しても、 下請企業は新日鉄からにらまれ、仕事を奪われる危険を感じてその隠蔽をするのである。

原告は、かような下請企業のあり方に反対し、労災隠しに一貫して反対してきた。 また、原告自身労災事故にあうや被告の妨害をはねのけて労基署に申告し労災認定を得てきた。

(a)

新日鉄について複数の下請企業があることは認めるが、その余の事実は否認する。

なお、原告の腰痛につては被告は当初私病として取扱い業務上災害とは認めなかったが、その後半田労働基準監督署が労災と認定したもので、労災隠しなどしていない。

(b) 出向社員の派遣

新日鉄は、自社の社員を積極的に下請企業に多数出向させ、それを通じて下請企業を支配している。 これらの出向社員は出向先でいずれも作業長以上の幹部クラスに就任している。しかも、新日鉄の定年は五五歳であるが、出向先の多くは六〇歳定年制であるため、 出向社員は新日鉄での定年を迎えてもそのまま出向先に幹部として留まり新日鉄の方針を実行している。

(b)

新日鉄が自社の社員を下請企業に出向させていることは認めるが、出向社員を通じて下請企業を支配しているとの点は否認する、その余の事実は不知。

(c) 名協会によるコントロール

新日鉄の主要下請企業六九社は、名協会を構成しているが、名協会は専ら新日鉄の意向を各下請企業に貫徹させるために機能している。

(c)

新日鉄の下請企業が名協会を構成しているこは認めるが、その余の事実は不知。

(d) 外注管理室による支配

新日鉄は、昭和五三年七月一日、従前の作業契約課と設備管理課契約掛を一つにまとめて外注管理室を設置した。 以来、外注管理室は、下請企業の経理状況、労働組合の動きを掌握し、下請企業の「合理化」にも積極的に参加するようになった。

(d)

新日鉄に外注管理室があることは認めるが、その余の事実は不知。

(e) 労働組合を通じての支配

新日鉄は、次項において詳述するように下請企業に働く労働者が自主的・民主的な組合活動を展開することを防ぐために、新日鉄労組を通じて下請企業の労働組合をも支配している。

(e)

不知。

(2) 被告を始めとする新日鉄協力会社の各労働組合の特殊性

(2)

新日鉄の主要下請企業の企業内労働組合一二組合(この中に被告会社の労働組合も含まれている)と新日鉄労働組合とで新日鉄名古屋関連協議会(以下関連協議会という)が設置されており、 下請企業の労働組合は、専ら関連協議会およびその傘下の労働組合委員長で構成されている組合長会議で決定された範囲内でのみ組合活動を行なっている。 関連協議会の事務局長は新日鉄労働組合の中央執行委員が就任し、事実上、事務局長の意向で関連協議会が運営されている。新日鉄労働組合は春闘などでもストライキなど一切せず、 専ら会社の回答に唯々諾々として従う組合であり、この姿勢が下請企業の労働組合にも押しつけられている。

「新日鉄の……」から「……押しつけられている」までの事実のうち、名古屋関連協議会が存在していることのみ認める、 同協議会事務局長に新日鉄労働組合の中央執行委員が就任しているとの点は否認する、その余の事実は不知。右事務局長には、従前より新日鉄名古屋労働組合の執行委員が就任してきた。

ところで、原告が所属する組合は親会社である日通の労働組合と同様に、上部団体である運輸労連に加盟している。したがって、原告の所属する組合も春闘や各一時金闘争の際には、運輸労連の統一要求に従って被告に対し要求を提出してきた。

しかしながら、現実の妥結金額は専ら新日鉄と同労組との間の妥結金額が基準となって決められている。すなわち、毎年の昇給や一時金の額は専ら前記関連協議会が新日鉄と同労組との妥結金額を参考にし、 右金額を下回る金額を決め、これを各労働組合に強制する仕組みになっている。協力会社がこのように昇給等を決定するのは、専ら新日鉄もしくは同労組の圧力によるものである。 しかし、関連協議会の決めた額では従業員が納得しないため、協力会社は表向きは関連協議会の決定に従いつつ、裏金で上積みをなし、この裏金分については従業員に緘口令をしき他の協力会社にわからないようにしている。

「ところで……」から「……わからないようにしている」までの事実のうち、原告所属の組合が日通の労働組合と同様に運輸労連に加盟していることは認めるが、その余の事実は否認する。

(3) 原告の組合活動

(3)

(イ) 昭和四八年四月二〇日、被告会社内に日通名古屋製鐵作業労働組合が結成されたが、原告は右組合結成に当りその結成準備委員として中心的な役割を果たし、 同年四月に行なわれた結成大会において副委員長に、同年一〇月に行なわれた大会において委員長に選出され、以来昭和五二年九月まで(但し、昭和五〇年一二月より同五一年九月までの間を除く)通算四期委員長を歴任してきた。

(イ) 原告が組合結成に当り中心的役割を果たしたとの点は否認する、その余の事実は認める。

(ロ) 原告は、昭和四八年一二月に行なわれた関連協議会傘下の労働組合委員長で構成されている組合長会議において、他の組合長らに対し、 「今年の年末一時金の裏(裏金のこと)は、私のところでは二万円だったが、お宅らはいくらでしたか。」と尋ねた。原告が各社の裏金分を聞いた理由は、 組合長間において互いに他社の動向を理解し、一時金や昇給において大幅な賃上げを勝ちとろうとしたからである。しかしながら、他社の組合長は、 新日鉄や自分が所属する会社からの圧力をおそれ、裏金について一切語ろうとしなかった。

(ロ) 「原告は、……」から「……一切語ろうとしなかった。」までの事実は不知。

右組合長会議の二日後、被告と組合との間でもたれた労使協議会の席上、原告は当時の被告の総務課長である服部某から 「会社の存続に係わることを組合長会議で言って貰っては困る。」と言われた。

「右組合長会議の……」から「……と言われた。」までの事実は否認する。

(ハ) 原告は組合委員長となって以降昭和五二年五月六日交通事故により休業するまで、春闘並びに夏季および年末一時金闘争においては組合でスト権を確立し、かつ、ストライキに臨む体制を現実に組んで被告と交渉にあたった。

(ハ) 「原告は……」から「……交渉にあたった。」までの事実は認める。

当時の状況下において、原告もやむなく表向きは関連協議会の案で闘争を終結させていたが、原告の指導の下、組合はストライキ体制を組んで交渉にあたったため大幅な裏金を勝ちとることができた。 他の関連協議会傘下の組合はスト権を名目上確立するとはいえ、一切ストライキ体制を組まないで会社と交渉し、ために裏金もあまりとれないのと対比するとき、原告の組合活動は輝かしい成果をあげていた。

「当時の状況下において……」から「……勝ちとることができた。」までの事実は否認する。

「他の関連協議会……」から「……成果をあげていた。」までの事実は不知。

(ニ) とりわけ、昭和五一年度の年末一時金闘争においては、同年一二月二日午前八時より午後四時まで組合は原告の指導の下、ストライキを実施した。 すなわち、この日組合員一二〇名は東海市東海町にある大池公園内広場に集まり総決起集会を開き、ストライキに突入した。

(ニ) 「とりわけ……」より「……ストライキに突入した。」までの事実のうち、「午前八時より午後四時まで」との部分および「ストライキに突入した。」との部分は否認し、 その余は認める。組合がストライキを実施したのは午後〇時までの半日である。また、組合員は総決起集会を開いたが、流れ解散の形で午後より就労している。

新日鉄ないしその協力会社の労働組合がストライキを実施したのは、新日鉄ができて以来これが最初のものであった。

ストライキが必至の状況となるや、その日の午前〇時頃原告は被告の下請一〇社の社長らより新日鉄名古屋製鐵所構内にある被告事務所二階に呼び出された。 原告を含む組合三役が出向いたところ、各社社長が一人づつが原告に対し、「是非明日のストは中止してもらいたい。ストをやれば新日鉄ににらまれ、会社(被告会社のこと)も無くなってしまう。 そうしたら我々下請は路頭に迷うことになる」等々とスト中止を懇請した。各社社長が同じ様に紙袋を持っていたので、原告がその紙袋は何かと尋ねたところ、社長らは「明日のストライキに備えて、 新日鉄名古屋製鐵所の作業契約課より、もしスト突入になれば、終結に至るまで同じ運送会社である株式会社上組の下請となって仕事をしなければならないと言われており、そのための契約書類である。」と答えた。

「新日鉄ないし……」から「……と答えた。」までの事実は不知。

かような圧力にも負けず、組合は原告の指導の下、ストライキを実施し、大幅な賃上げを勝ちとったのである。

「かような圧力……」から「……勝ちとった。」までの事実のうち、大幅な賃上げのあったことのみ認め、その余は否認する。なお、賃上げとストライキとの関連はない。

(4) まとめ

本件残業拒否命令は、原告の前記組合活動を憎悪している被告が、原告を被告会社から放逐し、もって組合活動を抑圧しようとしてなしたものであって、労組法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当する。

すなわち、被告は本件残業拒否命令により原告の収入を減少させ、生活ができないようにして原告が自主的に退職するよう狙ったのである。

否認する。

2 債務不履行

およそ労働契約においては、労働者が労働契約、就業規則等を遵守し、労働力提供の義務を履行している限り、労働条件上の待遇は、その提供する労働力に相応したものでなければならないことは、 労働者と使用者間の合意として労働契約の本質的内容となっているばかりでなく、条理上も当然のこととして是認されるべきである。

したがって、使用者は、当該労働者の能力、技術、経験など労働力の内容を構成する諸要素を正しく考慮し、同等の能力、技術、経験を有する労働者を 平等に処遇しなければならない義務を負っているものというべく、労働力の提供と無縁な外的事実を理由に差別的取扱を行なってはならない。

ところで、低賃金のため時間外労働を余儀なくされ、時間外手当を生活費の一部として予定せざるを得ない労働者としては、 他の労働者と同程度の時間外労働を期待するのは当然のことである。

しかるに、被告は、原告が被告会社では最古参の一人であり、他の従業員と同等ないしそれ以上の能力、 技術を有しているにも拘わらず、原告が活発な組合活動をしたという一事をもって、不当にも原告の時間外労働を拒否しているのであって、被告の右所為は使用者が労働者の処遇に当って 本来考慮してはならない事情を理由に原告に対して差別的取扱をしたものであり、債務不履行を構成する。

争う。

(四) 本件残業拒否命令により原告の蒙った損害

(四)

1 原告が本件残業拒否命令を受ける以前の三ケ月間の給与月額およびそのうち時間外手当が占める額は次のとおりであり、一ケ月平均給与額は一九万〇九一〇円であった。

給与月額   時間外手当

昭和五二年  九月

二一万〇七四六円  三万一〇八五円

同     年一〇月

一四万八七二四円  一万八六八〇円

同     年一一月

二一万三二六一円  三万九八七〇円

1 昭和五二年九月から同年一一月までの三ケ月間の給与月額およびそのうち時間外手当が占める額ならびに一ケ月平均給与額が原告主張のとおりであることは認める。 但し、昭和五二年一〇月の給与月額は私事欠勤により控除された金額である。

2 原告が本件残業拒否命令により時間外労働に従事し得なくなった昭和五二年一二月から昭和五四年六月までの間の毎月の総支給額およびこれと前記の一ケ月平均給与額との差額は、 別表(二)記載のとおりであり右期間内の差額分の合計額は七八万二三八九円、その一ケ月平均額は四万一一七八円である。

したがって、原告は、本件残業拒否命令を受けたことにより七八万二三八九円および昭和五四年七月以降一ケ月四万一一七八円の割合による損害を蒙っている。

2 昭和五二年一二月から昭和五四年六月までの間の毎月の総支給額の点は認めるが、その余の事実は否認する。

右期間内の原告に対する被告の賃金支払は、別表(三)記載のとおり原告に公傷休暇、私事欠勤(自己都合による欠勤)、遅刻・早退があったため、基準内賃金及び加給手当よりこれを控除して支給したものである。

(五) よって、原告は被告に対し、不当労働行為の原状回復請求又は債務不履行に基づく損害賠償請求として、七八万二三八九円およびこれに対する 昭和五四年九月一八日付原告準備書面送達の日の翌日である同年九月二一日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求めるとともに、 昭和五四年七月以降本判決確定に至るまで毎月二五日限り四万一一七八円宛の支払を求める。

五 原告に対する通常業務の取り上げ

(一) 原告は、前記のとおり昭和五二年八月一六日より常昼勤務になり、大型貨物自動車の運転業務に従事してきたところ、被告は、昭和五四年二月四日原告に対し右運転業務を取上げ、 同日以降被告会社詰所内に待機しているよう業務命令(以下本件待機命令という)を下した。右命令は今日に至るもその期間が明示されておらず、 そのため原告は、やむなく詰所内の清掃等を自主的にやるなどして時間を潰している。

(一) 原告が昭和五二年八月一六日より常昼勤務になり大型貨物自動車の運転業務に従事していたことおよび被告が昭和五四年二月四日原告に対し待機命令を下したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 本件待機命令も本件残業拒否命令と同様に不当労働行為および債務不履行を構成する。

(二)

1 不当労働と行為

本件待機命令は原告の前記組合活動を憎悪している被告が、原告を被告会社から放逐し、もって組合活動を抑圧しようとしてなしたものであって、 労組法七条一号、三号所定の不当労働行為に該当する。

すなわち、被告は、本件残業拒否命令により原告の収入を減少させ、生活ができないようにして原告が自主的に退職することを狙ったが、原告が退職しないことが明らかとなるや、更に本件待機命令を発して原告から生産に参加する喜びを奪い、原告が退職していくよう狙ったのである。

1

否認する。

2 債務不履行

使用者は労働者の能力、技術、経験など労働力の内容を構成する諸要素を正しく考慮し、同等の能力、技術、経験を有する労働者を 平等に処遇しなければならない労働契約上および条理上の義務を負っており、労働力の提供と無縁な外的事実を理由に差別的取扱を行なってはならないことは、前記四(三)2記載のとおりである。

ところで、労働者は、労働に従事することにより生産に参加する喜びを与えられ、社会に生きる生甲斐を感じるのであって、労働によって労働者の肉体的、精神的健全性が保たれ、人格的完成も期待できるのである。

しかるに、被告は、原告が他の従業員と同等ないしそれ以上の能力、技術を有しているにも拘わらず、原告が活発な組合活動をしたという一事をもって、不当にも原告の時間外労働を拒否したのみならず、 原告から仕事まで取上げているのであって、被告の右所為は、使用者が労働者の処遇に当って本来考慮してはならない事情を理由に原告に対して差別的取扱をしたもので、債務不履行を構成する。

2

争う。

(三) よって、原告は被告に対し、本件待機命令が無効であることの確認を求めるとともに、仕事を取上げるなどして原告を他の従業員と差別して不利益に取扱わないよう求める。

(抗弁に対する答弁)

(抗弁)

一 本件懲戒処分の適法性および有効性

本件懲戒処分は、次のとおり適法かつ有効なものである。

(一)

1 被告主張の日時に作業員詰所クーラー前で斉藤が原告に作業内容を指図中口論となったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(一) 原告の暴力行為の態様

1 昭和五二年九月二三日午後〇時五五分頃、作業員詰所クーラー前で斉藤健吉(以下斉藤という)が原告に作業内容を指図中口論となり、 詰所を出た手洗場付近で原告が斉藤の胸倉をつかみ更に喉、顎のあたりを突き飛ばしたため二人は取っ組み合いとなったが、その場は光安憲昭が中に入り二人を離した。 斉藤は右暴行現場から約一三メートル西の朝礼台付近へ逃げたが、原告はこれを追いかけ、朝礼台の上にあった甲表示板(鉄製約四キログラムのもの)を振り上げて斉藤に殴りかかったところ、前記光安、田上義明、前田徳幸らによって止められた。

2 不知。

2 その後斉藤は、午後の作業の準備のため器材庫へ入ったところ、中満右輝雄から喧嘩の仲裁を頼まれた前記前田が食事時間に斉藤より注意を受けたことを根にもって斉藤の胸倉つかんだり、 竹ぼうきを振り上げて殴りかかったりしたが、向井強に止められた。

3 斉藤と前田が器材庫内で話合っているところへ原告が入ってきたことおよび前田と斉藤が外へ出ていったことは認めるが、その余の事実は否認する。

3 そして斉藤と前記前田が右器材庫内で話合っているところへ原告がわめきながら入ってきた。その場は前田が一旦原告をなだめ、 斉藤と外へ出て話合っていたとき、突然原告がスコップを振り上げて斉藤に殴りかかったが、牛田徳雄、前記中満、前田らに止められた。

4 否認する。

4 斉藤は手洗場付近で原告から受けた暴行により加療約一週間を要する左肩打撲傷の傷害を負い、昭和五二年九月二四日から同月三〇日まで休務加療した。

(二) 不知。

(二) ところで、本件暴力事件に先立ち被告会社では奥田誠次による暴行事件があり懲罰委員会において右事件を契機に一線を画し、 暴力追放を期することを労使双方で昭和五二年七月二六日に確認している。

(三) 争う。

(三) 原告の前記暴力行為は、被告の就業規則五条、八条一号、九条三号および四号に違背するものであり、同規則六一条三号の減給又は出勤停止処分事由に該当するものであったが、情状を酌量して同規則六〇条所定の譴責処分に留め、 同規則五九条但書による降格処分を併科したものである。

争う。

二 賃金控除の適法性

原告主張の賃金控除は次の理由によりなしたものであって、適法なものである。

すなわち、原告と斉藤間に発生した暴力事件により右両名が懲戒処分に付せられることは確実であったが、被告は、右両名が従前より仲が悪かったことから、暴力行為の再発および事故の発生を防ぐため、 就業規則六四条に基づき右両名に対し懲戒処分決定までの間の暫定的措置として自宅謹慎を命じた上、昭和五二年一〇月三日、右両名に対し譴責ならびに降格処分をしたのであるから、 原告に対する自宅謹慎命令は適法なものである。したがって、被告が右自宅謹慎期間中の原告の不就労を欠勤として取扱い、就業規則二三条(社員が欠勤したときは賃金を支払わないとの規定)に基づき 原告主張の賃金控除をしたことも適法である。

三 原告に対し昭和五二年一二月一日以降時間外労働を命じていない合理的理由

「原告は……」から「……原告を常昼勤務に変更した。」までの事実は認める。

原告は昭和五二年五月六日自動車事故により負傷して同年八月一五日まで休業し、翌一六日から出勤したが、 原告から被告に対し右自動車事故による傷病を理由に三交替勤務から常昼勤務に変更して欲しい旨の申出があったため、 やむなく右申出を容れ原告を常昼勤務に変更した。なお、被告会社では作業の性質上五組三交替の変則勤務を基本としているのであって、 右変則勤務を常昼勤務に変更することは異例の措置である。その後、同年一〇月一一日に原告から被告に対し、軽作業が適当であるとの医師の診断書が提出されたため、 担当医に面談して確認したところ、時間外労働はしない方がよいとのことであった。 そこで、被告は原告の健康を配慮して同年一二月一日以降時間外労働をしない方がよい旨伝え、原告が規則正しい生活と病状回復に専念するよう願ったのである。 そして、被告は原告から昭和五二年一〇月一一日より昭和五四年一月三一日までの間に軽作業可と記載された診断書を合計八通受領しており、 原告の腰痛症が長引いていることから、安全衛生および症状回復のために昭和五二年一二月一日以降原告に対し時間外労働を命ずるのを差控えているのであって(なお、原告は昭和五三年一月三〇日被告に対し健康上の理由から常昼勤務の期間延長を願い出ている)、 決して原告をその組合活動を理由に不利益に取扱ったものではない。

「なお、被告会社では……」から「……異例の措置である。」までの事実は争う。

「その後……」から「……提出されたため」までの事実は認める。

「担当医に面談して……」から「……とのことであった。」までの事実は不知。

「そこで……」から「……願ったのである。」までの事実は否認する。

「そして……」から「……受領しており」までの事実は認める。

「原告の……」から「……取扱ったものではない。」までの事実のうち、被告が昭和五二年一二月一日以降原告に対し時間外労働を命じていないことおよび原告が昭和五三年一月三〇日被告に対し常昼勤務の期間延長を願い出たことは認めるが、その余の事実は否認する。

四 本件待機命令の合理的理由

被告が原告に対し待機を命ずるに至った事情およびその後の経過は次のとおりであって、原告をその組合活動を理由に不利益に取扱ったものではない。

(一) 認める。

(一) 原告は、昭和五四年一月一九日作業中に左手首の関節を捻挫したことにより同月二〇日から同月末日まで休業し通院加療した。

(二) 被告主張の日に被告の従業員である熊原、小柳津らが原告宅へ見舞に行ったことは認めるが、その余の事実は否認する。

(二) 同年二月二日、被告の従業員である熊原俊司、小柳津旻らが原告宅へ見舞に行ったところ、原告は「この怪我は作業につけば又痛くなる。」と言ったため、中部労災病院で診断を受けるように話した。

(三) 被告主張の日に原告が中部労災病院で受診したことは認めるが、その余の事実は否認する。なお、医師の診断は治癒であった。

(三) 翌二月三日、原告は中部労災病院で受診したが、原告のいうような怪我ではなく、治療を要しないとのことであったため、被告は原告に対し翌日から出勤するよう指示した。

(四) 原告が被告主張の日に出勤したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(四) 原告は翌二月四日出勤したが、「作業につかなければ全治したかどうかわからない。作業につけば再発するかも知れない。再発したら労災は一年間有効だぞ。」と強く発言したため、被告は再発防止のため原告を作業につかせることを見合わせ様子をみることにした。

(五) 被告がその主張の日に原告に対し詰所で待機するよう業務命令を出したことは認めるが、その余の事実は否認する。

(五) そして同年二月六日、被告は組合とも協議の上、原告に対し左記の理由を説明し、当分の間別に指示あるまで詰所で待機するよう業務命令を出した。

前記のとおり二月三日中部労災病院で原告の怪我は全治したとの確認を得たが原告はその後も依然として、「再発するかも知れない。再発したら労災が適用されるぞ。」と 再三強く発言している以上再発防止のため原告を作業につかせることはできない。

(六) 構内員の勤務部署および作業内容の点は不知、その余の事実は否認する。

(六) ところで、その後も原告の病状好転は認められず、被告としては、安全衛生管理および原告の健康状況の点を配慮し、最低の軽作業としての職種を組合とも協議した結果、 昭和五四年四月一五日をもって原告の待機を解き、翌一六日原告に対し、職種を変更し構内員として勤務するよう辞令を出したが、原告は正当な理由もなく構内員としての勤務を拒否しているものである。

なお、構内員は、作業課作業運用係(進行班)に席をおき、(1)作業配置の記録、管理、(2)運行日報その他指示書等の回収整理、 (3)作業服、安全保護具類の配付計画、受渡し、(4)その他進行班業務補助の作業に従事するものである。

(再抗弁)

本件懲戒処分は次の理由により無効である。

(再抗弁に対する答弁)

一 不当労働行為

被告は、請求原因四(三)1(3)記載の原告の組合活動を憎悪し、同僚との口論という原告の些細なミスを捉えて譴責および降格という重い処分をしたのである。 その狙いは本件懲戒処分とりわけ降格処分によって原告の信用を失墜させ、もって、組合員に対するみせしめとし、組合活動の抑圧を図ったものであり、 本件懲戒処分は労組報七条一号、三号所定の不当労働行為に該当し、無効である。

否認する。

本件懲戒処分の処分事由となった暴力事件については、組合も昭和五二年一〇月三日被告に対し、組合が指導性を欠いたことを深く恥ずるとともに反省し、 暴力否定は民主主義の基本原理であり、今後も組合員を指導するとともに、暴力行為に対する処分は相当かつ当然である旨の見解を表明している。

二 懲戒権の濫用

被告会社では、いまだかつて同僚間の喧嘩を理由に本件のような不利益を伴う処分がなされたことは一度もない。

まして、本件にあっては事件直後に原告と斉藤との間で示談が成立しているのであるから、本件懲戒処分の違法性はより強いものがある。

本件懲戒処分は重きに過ぎ懲戒権の濫用として無効である。

否認する。

本件暴力事件については、これに関与した斉藤が譴責および作業長から組長への降格処分を、前田が三日間の出勤停止処分を受けており、原告だけが処分を受けた訳ではない。

三 労使慣行違背

被告会社では、懲戒処分がなされる前に本人の弁明の機会が十分与えられ、かつ、会社と組合との間で労使協議会が設けられ 必ず組合の意向が確かめられるのが労使慣行として制度的に確立していた。

「被告会社では……」より「……確立していた。」までの事実は認める。

しかるに被告は、本件懲戒処分をなすに当って当時組合委員長であった原告に対し自宅謹慎を命じ、本人の弁明の機会を与えなかったばかりか、組合の意向を一切確かめることもなく、 一方的に懲戒処分をなしたものであって、その処分手続は労使慣行に違背するものであるから、本件懲戒処分は無効である。

「しかるに……」から「……無効である。」までの事実は否認する。

本件懲戒処分に先立ち懲罰委員会は原告に出頭を求めたが、原告はこれに応じなかった。 しかし、原告は被告会社小柳津旻安全課長による昭和五二年九月二九日の事情聴取には応じたので、右課長は原告より暴力行為の状況を聴取して状況報告書を作成した上、 これを読み上げて原告に確認したところ、間違いないことを認めたため、原告に署名捺印させて右報告書を懲罰委員会に提出した。 同委員会は、右報告書が詳細であったため更にこれ以上原告から事情を聴取することはしなかった。

以上の次第であって、被告は右各処分をなすに当り原告に十分弁明の機会を与えたのである。

――昭和六〇年(ワ)第二六七三号事件について

(請求の原因)

(請求の原因に対する答弁)

一 被告は昭和六〇年三月二九日、就業規則六三条二号違反を理由として原告を解雇する旨の意思表示をし、右意思表示は同日原告に到達した。

被告は以後原告との間の雇用契約の存在を争っている。

一 認める。

二 原告は昭和六〇年三月当時被告から三か月平均で一九万四九六〇円の賃金を受けていた。そして、被告会社においては昭和六〇年の春季の賃上げを、 一人当たり平均八五一五円として同年四月一日から実施した(ただし、うち金五〇〇円は三交代手当ての増額である。)ので、これによって原告が支払いをうけるべき賃金は金二〇万二九七五円となった。 また、被告会社は昭和六〇年夏期一時金を、基準内賃金の一・六二六倍に基本給の〇・四九三倍を加算したものと定め、同年七月五日に支給した。これによると原告の受けるべき夏期一時金は四二万四七一六円となる。

被告は前記解雇を理由に、原告に対し昭和六〇年三月分の賃金を同月二五日に支払ったのを最後に、その後は賃金、一時金ともに一切の支払いをしない。

三 よって、原告は被告に対し、昭和六〇年四月から同年八月までの賃金及び同年夏期一時金の合計金一四三万九五九一円並びに 同年九月一日以降毎月二五日限り賃金として月額二〇万二九七五円の支払を求める。

二 昭和六〇年三月当時、原告の三か月平均の賃金は一八万八二八四円であった。また昭和六〇年春季の賃上額は一人当たり平均八四一五円であった。

(抗弁に対する答弁及び原告の主張)

(抗弁)

一 被告会社の就業規則に被告主張の定めがあることは認める。

しかしながら、右就業規則の定めは、以下の理由により無効である。

すなわち、就労時間以外の時間をどのように使うかは、本来労働者の自由な選択と裁量に委ねられるべきものである。そうでなければ、従属労働の実態の下で労働者は使用者によって二四時間すべてを時間管理されることになる。

労働時間の制限は、良質な労働力を確保するためにあるのではなく、労働者が人間らしく生きるためにあるのであり、労働基準法の労働時間に関する定めも、憲法二五条を受けて、この観点から従属労働の下において労働者の労働条件、 生活条件の切り下げが強行されることのないように設けられているのである。したがって、これに反する合意あるいは就業規則の定めは原則として公序良俗に反するものとして無効である。

被告会社の就業規則六三条が良質な労働力を確保することに対する関心から設けられていることは、被告において自認するところであり、ほかに対外的信用・体面を傷つけるおそれなども問題にするが、 仮にそれらが問題になるのであれば、そのことを直接的に問題とすべきであり、一般的に兼業を禁止することの合理的理由にはならない。結局、右定めは不当に労働者の権利を侵害するものというべきであり、 公序良俗に反するものとして無効である。

一 被告会社の就業規則は、その六三条において、「社命又は許可なく他に就職したとき」は懲戒解雇に処する旨を定めている。

労働者がその自由な時間を精神的、肉体的疲労回復のための休養に用することは次の労働日における誠実な労働提供のための基礎的条件をなすものであるから、 使用者としても労働者の自由な時間の利用については関心を持たざるをえず、また兼業の内容によっては企業の経営秩序を害し、企業の対外的信用、体面が傷付けられる場合もありうるので、 右兼業禁止の定めは合理的なものである。

二 原告が被告会社の勤務に差し支えない程度に訴外毎日交通株式会社タクシー運転手としてアルバイトをしていたことは認める。

しかし、仮に右就業規則の定め自体が有効であるとしても、それはアルバイト程度の就業までも禁止しているものではない。現に、被告会社においては 会社からの賃金だけでは生活を維持することができないためアルバイトをする者が数多くあり、それらはいずれも被告会社によって黙認されていた。したがって、原告は右就業規則の定める解雇事由に該当する行為は行っていない。

二 しかるところ、原告は被告会社に無断で、訴外毎日交通株式会社にタクシー運転手として勤務した。すなわち、原告は昭和六〇年二月九日朝有給休暇をとる旨電話連絡をしたうえ、 タクシー運転手の仕事に従事していたところそれが発覚したものであるが、当日より以前、昭和五五年五月ころから継続的にタクシー運転手として勤務していたものであり、 しかも右タクシー会社は、自動車運送事業等運送規則によりいわゆるアルバイト運転者を雇用することを禁止されているのであるから、原告はアルバイトではなく、正社員として勤務していたことになる。

原告のこの行為は、会社の秩序ないし労務の統制を乱し、また乱すおそれを十分に有するものであり、就業規則の前記条項に該当するので、原告は被告を懲戒解雇したものである。

(再抗弁)

(再抗弁に対する答弁及び被告の主張)

一 仮に、原告の行為が形式的に懲戒解雇事由に当たるとしても、本件において、被告は原告から仕事を奪い、かつ賃金を低劣なものに抑え込んできた。 このため原告は従前の生活すら維持できないような状態にされている。自らの生活を守るために必要な手だてを講ずるのは、一種の緊急非難行為であり、 また、右のような事態を現出させたのは被告自身であるから、原告の対応は一種の正当防衛行為でもある。したがって、原告の行為はそもそも懲戒の対象外であるといわなければならない。

また、自ら不当な仕事の取上げを強行した被告が、右取上げの結果、万やむを得ずした対応行為を懲戒事由として主張することは、クリーンハンドの原則、信義則に反するものであり、権利濫用であるというべきである。

一 争う。

無許可の兼業を禁止することは、当該業務が会社に対する本来の労務提供に支障を与えるのではないか等の判断を会社に委ねる趣旨を含むものであるから、 兼業の職務内容いかんにかかわらず、原告が被告に無断で二重就職したこと自体が企業秩序を阻害する行為であり、雇用契約上の信頼関係を破壊する行為と評価されるべきものである。

原告の兼業は、単なる余暇利用の域を越えており、誠実な労務の提供に支障をきたす蓋然性が高いものとみるのが社会一般の通念である。

これらの事情からすれば、被告が原告を懲戒解雇したのは相当な行為であり、権利濫用にはならない。

二 不当労働行為

被告が原告の組合活動を嫌悪していたことについては前記のとおりである。

そのため、被告は原告の収入を減少させたり、運転業務を取り上げ詰所内に待機する職務命令を下すなどの人権侵害を行い、原告が自主的に退職することを期待した。

本件解雇は、右差別待遇にもかかわらず自主的に退職しようとしない原告を、職場から放逐しようとしてなされたものであり、不当労働行為であること明白である。

二  争う。

三 懲戒手続きについて

本件懲戒解雇処分はその手続においても違法である。

三 争う。

被告は就業規則に則り、適正な手続により原告を懲戒処分にしたものである。それは次のとおりである。

1 被告は組合を通した事情聴取によって原告に弁明の機会を与えたというようであるが、それは組合としての聞き取りに過ぎず、本来的な弁明の機会が与えられたとはいえない。

1 被告会社から組合に対して懲戒委員会開催の申し入れ。

2 本件において労働組合は会社と一緒になってアルバイトの事実を確認しようとしたものであり、懲戒手続きの適正さ、公正さを担保する役目を果たしていない。むしろ、全体の推移からすれば、労働組合は原告の解雇を前提に被告と協調した態度をとっていた。

2 組合は執行委員会を開催。

3 懲戒委員会の開催、それに先立つ労使協議会の設定、その前提となる組合における討議、報告のいずれについても、当事者である原告に資料が開示されず、秘密裡に行われた。

3 労使協議会を開き、懲戒委員会を開くかどうか検討。

4 第一回懲戒委員会。

5 第二回の懲戒委員会の前に中央委員会が開催され、第一回懲戒委員会の資料、組合三役が毎日交通に行って調査した結果、組合三役が原告と会って事情聴取した結果などが報告され、 処分はやむをえないという意見が大勢を占めた。

6 第二回懲戒委員会開催。労使委員ともに懲戒解雇はやむをえないということになった。

7 被告代表者の判断。

第三 証拠〈省略〉

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